牧師紹介

 
<牧師と教会のプロフィール> 

荒川 善久(アラカワ ヨシヒサ) 

1969年、名古屋市に生まれる。 
1993年、緑バプテストキリスト教会(バプ連合)にて河野勇一師より洗礼を受ける。
2001年、東海神学塾卒業。 
2002年、旧・生駒バプテストキリスト教会(奈良県生駒市)に招聘される。 

2008年、旧・西大寺バプテスト教会の兼牧が始まる。
2010年、 旧・生駒バプテストキリスト教会と旧・西大寺バプテスト教会が合流し、

  生駒・西大寺バプテスト教会となる。(会堂は旧生駒バプテストキリスト教会)
2012年、隣町の京都府精華町にて新会堂を建設。
  『 けいはんなキリスト教会』として新しくスタートを切る。

1男1女の父。
趣味
・映画鑑賞(アニメ、特撮を含む)
・模型製作(プラモ作り、特にガンプラ)
・将棋、卓球 (教会には卓球台があります!いっしょに遊びましょう!)


初めまして。けいはんなキリスト教会の牧師、荒川善久と申します。
教会に興味をお持ちの方は、そこにどんな人が集っているか、牧師は一体どんな人なのか、知りたいと思ってらっしゃることと思います。そこでまずは自己紹介をさせていただきます。

挫折と勧誘
遡って1988年のことです。当時、浪人生となってしまった18歳の私は、受験失敗による挫折感と虚しさの渦中にいました。そんなある日、模擬試験の帰りにふと街頭で声を掛けられました。試験がうまくいかず、やる気も失せ、自暴自棄な気持ちになっており、このまま真っすぐ家に帰りたくないなあと思っていたところでしたので、聞かれるまま気軽にアンケートに答えていきました。 そして、そのままのこのことスタッフについて行ったのですが、それは、キリスト教三大異端の一つである統一教会でした。私は勧誘されるまま統一教会員になってしまいました。

20世紀末の世界観
その時の時代背景を少し紹介したいと思いますが、この少し後からオウム真理教の信者殺害・拉致監禁事件が起きていき、1994年には東京の地下鉄で毒ガスサリン事件が起きるというそんな時代が待ち受けていました。『ノストラダムスの大予言』を耳にされた方は多いでしょう。恐怖の大王が1999年に地球に降りてくるという予言で、当時、大の大人も結構本気で信じて多くが惑わされていました。オウムの事件があってからは、世界の終わりが本当に来るかもしれない、と特に若い世代の人達は恐れていました。しかし、実際はそういったことは何も起きませんでした。
ちょっとした歴史通の方ならば、こういう事は遠い昔にも起こっていたことを御存知だと思います。キリスト教が西洋または世界の中心であったA.D.900年代末に、もうすぐ1000年(ミレニアム)になるからきっとこの区切りの良い時にこそ神様の千年王国(聖書にある地上の天国)が始まるに違いない、と。そう思って待っていたけれど1000年を迎えても何も変わらない、相変わらず貧しい人は多いままだし、戦争も無くならない。あれっと。
そして、今の時代に生きる私たちは、2000年を迎えて同じように何事もなく過ぎていくのを目の当たりにし、1000年のときと同じように偽情報に惑わされていたと分かりましたね。しかし、私が統一教会にのめりこんで行った理由の背景に、こうした終末論への不安から物事の考え方が厭世的になり、そんな渇望した心の空洞を統一教会という組織に埋めてもらえるかもしれない、と潜在的に望んでいたからだと思います。人の心というものは本当に弱いものです。

結局私は2年の間、統一教会にどっぷり浸かりました。情報の締め切られた組織の集まりに全く疑問を抱かず、家族の意見に全く耳を傾けない、心をコントロールされてしまった状態に陥っていました。 しかし、幸いにもその後、家族と正統なキリスト教会の働きのおかげで私は辛くも救出されたのでした。 (統一教会という組織で見てきたこと、救出劇について、また私がどのようにして心の支配から解放されていったかは非常に重要な所ですが、ここではとても語り尽くせないので省略します。お知りになりたい方は、ぜひ教会にいらして直接お聞きください!)
 
キリスト教会への導き
さて、その後、大学の部活の一人の後輩が統一教会と関わりがあるのではないかと危機感を覚える出来事がありました。何とかこの後輩に組織の過ちを気付かせるには、まず自らが誤解の根たる聖書を知らねばと思い、私がそのころまだ定期的に集っていた脱会者の集まりに出席していたクリスチャンに誘われていたのもあり、キリスト教会に通い始めました。名古屋市にある緑バプテストキリスト教会(日本バプテスト教会連合)というところでした。

毎週通うようになり、そのうちに私自身が聖書にある「迷える一匹の羊」であったことに気付かされていったのです。ミイラ取りがミイラになったかのように、社会人としてのスタートをきった24歳になる年に河野勇一牧師により洗礼を受けました。(統一教会の心理的支配からやっと解放されたのにかかわらず、宗教嫌いにならず、なぜ教会に導かれ得たということ、また、どのように本当に救いに気づいていったかについても、とても重要な所なのですが、敢えて省略します。直接お聞きください!)

「献身」
統一教会では「献身」という言葉が、組織にとって都合の良い金集めの為に利用されていました。もちろんキリスト教会ではそのような使われかたは一切しておりませんが、私は、献身だけは絶対にしないと心に堅く決めたクリスチャンとなっていました。
けれども神様は御手を伸ばされ、一度捕まえた獲物は離さないと思わされるような熱心さによって、その後、私の決心を覆す計画を備えておられたのです。

牧師への導き
きっかけは、教会の河野牧師に「聖書をより学べる所があるよ」と勧められ、東海神学塾という神学校に足を運んだことに発します。大学を卒業して社会人となっていた私は、仕事が終わってから神学校へ向う生活を始めました。はじめの内は信徒奉仕者コースの一つ二つの単位でしたが、学びが深まると徐々に授業数を増やしていきました。 
一方、そのころ私は社会人として仕事の行き詰まりを感じていた時期でもありました。凄腕上司にストレスをかけられ、一時は仕事を辞めようかと悩んでいました。 仕事からの逃避ではありませんが、残業せずに神学校へ向う日々は、いつしか力を得る源となっていきました。 
その内に職場の配置替えがあり、職場環境と仕事内容が一新され、私は仕事と学校を両立できるようになっていきました。こうしてさらに神学校での学びは深まって行き、そこで触れて感じとっていく教授の宣教スピリットによって次第に私は影響を受けていきました。 
そんな1997年暮れ、私にとって大きな転機となる時がやってきました。ひと月に同じ内容のメッセージを三度も聞いたのです。そのメッセージの内容というのは、「働き手(牧師等)が少ない」という主題でした。特に10~20年先を見越した日本の将来、牧会者の減少が警告されたのです。このメッセージは、聞いていた私個人に対して与えられた神様からのチャレンジとなり、ぐっと心に響いてきたのです。その時、私は心の中で(礼拝中だったので)このようにお応えしました。聖書の中の有名な言葉ですが、イザヤ6章8節の「ここにわたしがおります。私を遣わしてください」と。 
 
こうして神様の為に身を献げる(=献身)だけは絶対にしない!という私の固い自我は溶かされ、牧師になろうと決断させられたのでした。(こののち東海神学塾の信徒奉仕者コースから教職志願コースへ変更) 
 
聖書との出会い、その中に示された神様を知るかたちは様々です。キリスト教会には各々、聖書の神様との出会いをした方が集っています。 
どんな出会いがあったのか関心を持たれたら、是非、先ず聖書を開くことから始めてみることをお勧めします。そしてどうぞ教会へ足をお運びください。 私たちの教会が皆さまのお役に立ち、神さまとの出会いと場となれるよう心より願っています。ハレルヤ、アーメン。